ペトロ 鍵

続いては、ローマにある世界一面積の小さい国家バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に入場します。キリスト教の最大宗派であるカトリックの総本山で、世界中から信者が参拝に訪れる地です。4世紀頃に建てられたのが始まりで、16~17世紀にかけてラファエロやミケランジェロなどルネサンス期の芸術家が改築に関わり、現在の荘厳な姿に生まれ変わりました。キリストの一番弟子であり、初代ローマ教皇の聖ペトロを祀った神聖な教会ですから、見学の際にはいくつか注意点があります。, 大聖堂へ入るには正面入口ではなく、広場の右手にあるこちらの場所から入場します。まずはここで、荷物とボディのセキュリティチェックを受ける必要があります。傘やペットボトルはOKですが、刃物類は持ち込み禁止です。, 神聖な場所ですから禁止事項を守り、静粛に見学しましょう。露出が多い服装・帽子着用・三脚・飲食・喫煙・携帯通話・ペット同伴・大型荷物の持ち込みは禁止されています。大聖堂内部は撮影が許可(フラッシュ撮影も可)されていますが、三脚の使用は禁止です。リュックやスーツケース、ベビーカーなどの大きな荷物はクロークに預けましょう。一番注意してほしいのが服装で、肩とひざが露出している服(キャミソールやタンクトップ、短パンやミニスカートなど)は入場を断られる可能性があります。, 順路通りに進むと、サン・ピエトロ大聖堂が間近に見えてきました!この大聖堂左側の階段付近で服装チェックが行われます。私達が訪れた時はショートパンツとタンクトップ姿のお姉様が入場を断られていましたから、皆さんも気を付けてくださいね~。, ファサードにはキリストと洗礼者ヨハネ、ペトロ以外の11人の使徒の像が並んでいます。, 大聖堂前には2体の石像が立っており、左側のキリストに授けられた天国の鍵を持っているのが聖ペトロです。右側は聖パウロで、首をはねられて殉教したので剣を持っています。, アーチをくぐるとまず5つの扉がある、アトリウム(前室)があります。向かって左から順に「死の扉」「善と悪の扉」「中央扉」「秘蹟の扉」「聖年の扉」です。, こちらは中央扉の「フィラレーテの扉」です。一番右にある聖年の扉は、25年に一度(次回は2025年!)の聖年と言われる年に開かれます。この扉を含め4大聖堂の聖年の扉を全てくぐると、罪の償いが許されるそうです。, アトリウムを見上げると、天井や壁には黄金に輝く繊細な装飾がぎっしりと施されています。その中でも有名なのがこちらのモザイク画、ジョット作「小舟」です。, それでは、いよいよ大聖堂内に入場します。最初に目に飛び込んできたのがこの身廊です。身廊の長さはなんと約186mもあり、天井が高いのでとても開放的ですね~。大体の観光客は聖堂内を反時計回りに見学しているので、同じ方向に進むのがおすすめです。, 流れに乗って右方向に進むと、もの凄い人だかりが出来ている場所があります。人混みをかき分けてやっと近づけたのが、ミケランジェロ作「ピエタ像」です。十字架から降ろされたイエスの亡骸を胸に抱き、悲しみの表情を浮かべる聖母マリア像です。マリアの胸元にはミケランジェロのサインが刻まれており、彼のサインが残る唯一の作品でもあります。若干24歳でこの作品を完成させたというから驚きですよね!, 柱や壁には豪華な装飾が施されており、どの方向を見ても目がチカチカします(笑)大聖堂内には石像が何百体もあり、歴代教皇の墓碑や祭壇画も紹介しきれないほどあるので主要ポイントだけ紹介していきますね。, そのまま右廊を進むと、サン・セバスティアーノ礼拝堂のモザイク画「聖セバスティアヌスの殉教」があります。その次にはカーテンで閉じられているサクラメント礼拝堂があるのですが、静かにお祈りするだけなら観光客でも入れました。, その次に「教皇グレゴリウス13世の墓碑」があります。現在世界中で広く用いられている「グレゴリオ暦」を採用したのが、こちらのローマ教皇グレゴリウス13世です。1582年まで用いられていたユリウス暦では毎年暦が少しづつズレて、累積して10日もズレが生じていました。この問題を解決すべく、より精度の高いグレゴリオ暦が発案されたのです。, 中央の身廊に戻ると、右手には何やら行列が出来ています。大聖堂の由来となり、キリストの一番弟子で初代ローマ教皇でもある「聖ペトロ像」です。行列はペトロ像の足に触ったりキスをして、祈りを捧げるためのものでした。私もご利益があるかなと思って触ってきましたが、両足ともかなりすり減っていました。, 大聖堂内で一番の見どころなのが、ベルニーニ作の大天蓋(パルダッキーノ)です!この巨大なブロンズ製の天蓋の真下には、聖ペトロの墓があります。見事な装飾なのですが、ねじれた柱や台座のモチーフはけっこう奇抜なデザインでした。, 大天蓋の真上を見上げると、ミケランジェロ作の大円蓋(クーポラ)があります。円形の内側は黄金の聖人モザイクで、これまたド派手に装飾されていますね~。高さは約138mあり、太陽の光が取り込まれとても神秘的な雰囲気でした。, 聖堂の一番奥「後陣」と呼ばれる場所にあるのが、ベルニーニ作「聖ペトロの司教座」です。教皇だけが腰掛けることができ、黄金の装飾と上部には鳩のステンドグラスが輝いています。中央の椅子は、神学の基礎を築いた4人の博士たちによって支えられています。, クーポラを支える4本の柱にはそれぞれ聖人像が立ち、左手前の柱には「聖アンデレ像」があります。この像の真下には、歴代教皇が眠る「地下墓所への入口」があります。地下墓所はひんやりとしており、想像以上に巨大な空間で厳粛な雰囲気でした。さすがにお墓を撮影するのはためらわれたので、写真はありません。, 続いて左廊を歩いていくと、ベルニーニ作「教皇アレクサンデル7世の墓碑」があります。赤大理石のドレープが上がって、その向こうに扉があるように見える装飾がされています。ベルニーニは、このような舞台効果を狙った手法が得意な芸術家でした。, その次は、長い歴史をかけて収集された美術品が展示されている宝物殿の入口があります。営業時間は8:00~18:40、入場料7ユーロ、日本語オーディオガイドは3ユーロです。, 内陣席の礼拝堂は中に入れませんが、鉄柵越しに祭壇を見ることはできます。ピエトロ・ビアンキ作「無原罪の御宿り」、柵の間にカメラを突っ込んで撮影しました(笑), 大聖堂の天井には小さなクーポラがいくつもあり、こちらはそのうちの一つです。他にも紹介しきれないほどの芸術品があり、これほど豪華で荘厳な教会は初めて見ました。皆さんもサン・ピエトロ大聖堂を訪れて、歴史の重みと神聖な雰囲気を感じみてください!, マイたび@イタリア旅行ガイドは、ローマ・フィレンツェ・ベネチアのイタリア3都市を周遊した個人旅行ブログです。旅行計画の立て方、航空券やホテルを手配する方法、ガイドブックには載っていないチケット予約方法、移動方法、現地観光情報がいっぱい!個人旅行にもツアー旅行にも役立つ、安くて賢いイタリア旅行術をお伝えします。, Hotels.comは検索機能が充実したサイト。10泊すると1泊無料になる嬉しい特典も。, Expediaは世界最大の旅行予約サイト。ホテルと航空券を同時に予約すると更にお得!, Booking.com(function(d,sc,u){var s=d.createElement(sc),p=d.getElementsByTagName(sc)[0];s.type='text/javascript';s.async=true;s.src=u+'?v='+(+new Date());p.parentNode.insertBefore(s,p);})(document,'script','//aff.bstatic.com/static/affiliate_base/js/flexiproduct.js');Booking.comはホテル掲載数世界一。現地決済、キャンセル可能プラン多数あり。, Booking.comはホテル掲載数世界一。現地決済、キャンセル可能プラン多数あり。, イタリア個人旅行に役立つ情報が満載!ローマ・フィレンツェ・ベネチア周遊の旅行記ブログ. クリスチャンの証し. わたしは20年ぐらい前に聞いた説教の、中身は覚えていませんが、その中の笑い話は覚えています。, 仲の良い老夫婦がいました。妻が先に亡くなり、天国に入る列にいました。ペトロが天国の鍵をもち、列にいる人々をテストしています。ペトロの質問は「『ラブ』のスペルを言いなさい。」でした。妻は「LOVE」と言って天国に入りました。しばらくして夫も亡くなりました。夫が天国に入る長い列の中で待っていたとき、ペトロはイエスに呼ばれます。ペトロは妻に鍵を渡して、「テストして人々を天国に入れなさい」と頼みます。夫は妻からテストされ、永遠の命を共に過ごせると大喜びでした。妻は夫を見るなり、「『チェコスロバキア』のスペルを言いなさい」と言いました。, 教会の教えでは、人は死後すぐ、私審判を受けます。そこで、その人が天国に行くか決まります。生涯神を愛し、隣人を愛していた人々は天国に招待されるでしょう。しかし誰でも天国に行く前に清めが必要です。この列こそ煉獄です。長い列の先には天国の門が見えます。人々は列の中で神の愛を強く感じ、心は早く神のもとに行きたくて待ちきれない苦しみで一杯です。, ちょうどその時ペトロが帰って来て夫が困っているのを見ました。ペトロは妻に「煉獄で清められた人は、チェコスロバキア『CZECHOSLOVAKIA』を知らなくても、『LOVE』を知っているのだよ。」と言いました。, オルガンメディテーション Copyright © 2014-2020 マイたび@イタリア旅行ガイド All Rights Reserved. こしてくださる主, 聖霊のうめきによる偉大な助け. 晩の祈りとオルガン音楽による瞑想. 《聖ペテロへの天国の鍵の授与》は、画家のペルジーノによって制作された作品。制作年は1481年から1482年で、システィーナ礼拝堂に所蔵されている。, 『聖ペテロへの天国の鍵の授与』は、イタリアルネサンス期の画家・ピエトロ・ペルジーノによって1481年から1482年にかけて描かれたフレスコ画。この作品は、1480年にペルジーノがローマの旧サンピエトロ大聖堂の礼拝堂の装飾を行っていたときに依頼されたものである。教皇シクストゥス四世はペルジーノの仕事を気に入り、ヴァチカン宮殿に新しく建てたシスティーナ礼拝堂の壁画装飾を彼に任せることを決めた。壁画の大きさもあり、ペルジーノは後にフィレンツェ出身の画家、ボッティチェリやギルランダイオなどのグループに加わって作品を仕上げた。, 礼拝堂の北壁面を装飾する「キリストの生涯の物語」の一部であるこの作品で描かれているのは、マタイ伝16章の「天国の鍵を与えられるペテロ」の場面である。この鍵は、他人が天国へ入ることを許可する力を与える神の言葉を分かち合う権限を表している。中央でイエス・キリストにひざまずき、鍵を受け取っているのが聖ペテロである。左右に並ぶ群衆の中にはユダを含む使徒が光輪とともに描かれている。右から五番目の人物はペルジーノの自画像ではないかと言われている。中央の建物は、左右に凱旋門のあるソロモンの寺院である。, 人物のスタイルは師ヴェロッキオの影響を受けている。重量感のある複雑な衣服のひだ、美しい顔立ち、長く流れる髪、気品のあるたたずまいなどは、ヴェロッキオ作「キリストと聖トーマス」の銅像を思い起こさせるものがある。彼らの頭は体に対して小さく、その表情は細部に相当の注意を払って繊細に描かれている。, ペルジーノは風景描写の分野で大きな貢献をしたと考えられる。画面いっぱいに横切る地平線の与える広々とした印象は、同時代の他の作品には見られないものである。遠景のブルーグレーの丘、雲の広がる空へ向かって立つ軽やかな木などの描写は、後の時代の画家、特にラファエロなどによい影響を与えることになる。, こちらで、ぜひ本作品の感想やエピソードを教えてください。作品に関する質問もお気軽にどうぞ。. Copyright © 2020 全能神教会 All rights reserved. ペトロ (ヘブライ語: שִׁמְעוֹן בַּר־יוֹנָה‎, Šimʿon bar-Yônā, 古典ギリシア語:Πέτρος, Pétros, 古典ラテン語:Petrus)(生年不明 - 67年?)は、新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人。初代ローマ教皇とされる。シモン・ペトロ、ペテロ、ケファともいわれる。聖人の概念をもつ全てのキリスト教諸教派(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)において聖人とされ、その記念日(聖名祝日)は6月29日(ユリウス暦を使用する正教会では7月12日に相当)である。 マタイ16章13-23節「イエスが与えた名前ーペトロの信仰告白」2008年8月7日シスターの黙想会、青森16:13 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 最新の動画 私は朝早く起きると、祈り、聖書のマタイによる福音書16章19節を開きました。主イエス様がペテロに語った内容が書かれている箇所です。「わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。この句を読んで私は困惑し、思いました。「ペテロは大した働きもしていないし、ペテロが書いた書簡も大して有名でもない。それだけでなく、主イエス様が捕えられて裁判にかけられた時、ペテロは三度もイエス様を否定した。それなのになぜ主は天国の鍵を他の使徒達ではなくペテロにだけ与えたのだろう。」聖書をあちこち開いて調べましたが、結局解決に繋がるものはなく、そのまま仕事に出かけるしかありませんでした。, 昼休み、私は依然として朝の疑問を引きずっていました。「神様は義なる方で、間違えたことはなさらないのに、なぜ主イエス様は天国の鍵をペテロに与えたのだろう。そこにどんな奥義が隠されているんだろう。」はっきり知りたいと思った私は、長年主を信じている同僚に聞いてみました。同僚は微笑んで言いました。「主がペテロに天国の鍵を与えられたのは、主がペテロを選ばれたから。ではなぜ主はペテロを選ばれたんだろうか。」 戸惑う私に友人は続けました。「主イエス様が弟子達に対して自分が誰かと聞いた時、ペテロが何て答えたかを覚えているかい。」私は答えました。「シモン・ペテロが答えて言った、『あなたこそ、生ける神の子キリストです』。」(マタイによる福音書 16:16)同僚はうなずいて続けました。「その通り。イエス様の12弟子のうち、ペテロだけが聖霊の啓きを受け、主イエス様こそ預言されたメシアであり、キリストだと言った。主イエス様が、自分がいのちのパンであり、人は自分の肉を食し、血を飲むだけで永遠のいのちを得ると言われた時、多くの人が観念を抱き、そして主に従うことを止めた。だがペテロだけはこう言った。「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。(ヨハネによる福音書 6:68-69)このふたつの出来事から、ペテロが主イエス様の言葉と働きを本当に理解していたことが分かる。ペテロは、主イエス様がキリストで永遠のいのちの道だったと確信していたんだ。だから、パリサイ人がどれほど主イエス様を裁き、非難し、攻撃しても、決して混乱することなく、周りの人達が主イエス様を捨てるかどうかに関係なく、誰にも強要されずに献身の姿勢を貫き、最後まで主に従ったんだ。主が甦られて天に昇られた後、ペテロは主のご命令通りに教会を牧会したんだ。ペテロは主の福音を広め、最終的に主のために逆さ十字架にかけられ、力強く美しい証しとなったんだ。このことから、ペテロが主を本当に理解しており、主に対して純粋な愛の心を持っていたことが分かる。そうでなければ、ペテロが生涯を通して主に従い、福音を伝えることは不可能だったし、特に、神様に対する究極の愛と、死に至るまでの従順を貫くことは不可能だった。, わたしはうなずいてこう言いました。「あなたの言う通りよ。12弟子の中でペテロだけが主イエス様がキリストだと理解し、ペテロだけが主イエス様のために逆さ十字架にかかったのよね。それを見ても、ペテロが主に受け入れられ、認められるようなものを持ち合わせていたことが分かるわ。」, 同僚は続けました。「主イエス様は言われた。『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。」(マタイによる福音書 22:37-38)「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。」(ヨハネによる福音書 14:23-24)「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。」(マタイによる福音書 7:21)主イエス様の言葉から、主イエス様は私たちが心と思いの全てで主イエス様を愛し、その言葉によって実践し、主の道から離れないことを望まれていたことは明らかだ。ここに書かれているのは主イエス様が私たちに求めておられることで、私たちが主の栄光を受けて天の御国に入るための基準なんだ。ペテロはこのような主の言葉に従って追い求めていたんだ。神を愛することを目標としていて、神を愛する者になることを追い求めたんだ。主イエス様がゲッセマネの園で捕らえられた時、ペテロは駆け寄って主を守ろうとし、大祭司の手下の耳を切り落とした。ペテロのした事は軽はずみだったけれど、危険な状況の中でも進み出て主を守ろうとしたのは、彼が心から主を愛していたこと、主を守ろうとしたことの表われだ。ペテロは主を知らないと三度否定したが、悔い改めて自分自身を忌み嫌い、しかも自分の過ちの原因をしっかり考えた。ペテロは自分の命を主に差し出したいと思っていたが、現実的に神の前に命を差し出す純粋な愛を持ち合わせていなかった。まだ死の束縛の下にあり、命を危険にさらすことができなかった。だから、ペテロはその先さらに追い求めることを目標とし、主を愛して主に満足していただくことを残りの生涯で求め続けたんだ。ペテロは生涯を通して主に託された任務に忠実だった。主イエスが復活して天に帰られた時、ペテロはあちこちで福音を述べ伝え、群れを牧養した。主の言葉と主の御心の証人となり、どのように主の言葉を実践するかを教えたんだ。その働きの中で、ペテロは自分が理解した真理と純粋な神に対する理解によって兄弟姉妹を支え、どこにいても神をたたえ、神の証しとなり、兄弟姉妹を神様の前に導いたんだ。どれほどユダヤ教の指導者達に追われても、ローマ政府に迫害されても、苦しみは困難の中にあっても、ペテロは神様からの任務に忠実であり続け、神様が命ずることを忘れたことはなかった。ローマの暴君ネロがクリスチャンを迫害しようとした時、周囲の助けによってペテロはローマの街から逃げ出した。主イエス様がペテロに現れ、ご自身がペテロの為に再び十字架につけられると告げた。主の御心を理解したペテロは、ためらわずに引き返し、逆さ十字架にかけられるために自分の命を投げ出した。そうすることで、ペテロは神と神の究極の愛に対して死に至るまでの忠誠を証ししたんだ。ペテロは主を愛し、天の父の御心を行う人間であり、彼が求めたものは神の承認を得たんだ。だから主イエス様はペテロに天国への鍵を渡された。もし私たちが天の御国に入りたいのであれば、ペテロに倣い、主の愛を知り、天の父の御心を行うものにならなければいけないんだ。主が約束されたものを獲得するにはそれ以外にはないんだ。, 同僚の話を聞いて突然気づいた私は言いました。「そうか、ペテロは本当に神様を愛して従った人だったのね。主イエス様がペテロに天国への鍵を渡されるのも当然ね。ペテロの経験に比べたら私の信仰や私が主に差し出したものなんて、単に自分が天国に入るためのもの、自分が報われるためのものでしかなかったわ。主の御言葉を実践するとか、主の要求にこたえるなどと言うことを考えたことはなかったわ。主への働きの中でも、主の御心を兄弟姉妹達と語り合うことすらなかった。福音を伝える中で困難に出会えば、兄弟姉妹を支えることもできずに消極的で弱くなり、主に対する信頼を失っていたわ。今、こうしてペテロと自分を比較してやっと、自分が主を愛する人間でないことが分かったわ。ペテロの証は本当に私たちが倣うべきものだけど、それならペテロはどのように主を知り、愛することを追い求めたのかしら。」, 私がこう言うのを聞いて、同僚はよろこんでタブレットを取り出して言いました。「福音のサイトでペテロがどうやって主を知り主を愛することを求めたかを読んだことがあるよ。かなりはっきり書かれてた。一緒に読んでみようか:「ペテロは何年にもわたりイエスに従い、人々が持っていない多くのことをイエスの中に見た。… イエスの動きのすべてが生涯ペテロの手本になり、イエスの説教は特にペテロの心に刻まれた。彼はイエスに対して非常に思いやりがあり、忠実であり、決してイエスに不平不満を持たなかった。こういうわけで、彼はイエスが行くところどこでもその忠実な伴侶となった。ペテロはイエスの教え、イエスの穏やかな言葉、食べるもの、着るもの、日々の生活、旅を観察した。ペテロはあらゆる点でイエスのやり方に従った。彼は独善的ではなく、以前の古臭い事柄をすべて投げ捨て、言葉や行動においてイエスの例に従った。ペテロが天地万物は全能者の手の中にあることを感じたのはこのような時で、そのような理由から、彼は自分で選択はせず、イエスという存在のすべてを手本として吸収した。」『言葉は肉において現れる』の「ペテロの一生」より「一定の経験を積んだのちに、ペテロはイエスの中に神の業を見、神の愛すべきことと神であるものを見た。そしてイエスの言葉は人が話すことのできないものだと知り、イエスの働きは人にはできないものだと知った。さらに、イエスの言葉と働きの中に、神の知恵と神性の働きが多く含まれていることもペテロは知った。ペテロはこの自身の経験の中で、自らを知るに至っただけでなく、イエスの行うことを見ることに焦点を当て、新しい事柄を数多く学んだ。つまり、イエスを通して神が行った働きの中に、実際の神が多く表現されており、イエスの言葉や行い、教会の牧養の仕方やその働き方が、普通の人とは異なっているということを学んだ。こうして、ペテロはイエスから学ぶべきことを数多く学び、イエスが十字架に架かる時までに、イエスに関してある程度の知識を得ていた。こうした知識によって、ペテロは生涯イエスに忠実に仕え、イエスのために逆十字の刑を受けたのだ。」『言葉は肉において現れる』の「神を知る者だけが、神の証人となることができる」より, これを聞いて私は同僚に言いました。「へえ、じゃあペテロは主イエス様に従う中で、いつも主の行いや振る舞いを観察していたのね。そうすることで、主イエス様の言葉や行動から、ペテロは主を知るようになったのね。」, 同僚は答えて言いました。「その通り。この二か所を読めば、ペテロが主を知りたいと思っていたことが分かるし、主イエス様とのやりとりの中で、ペテロがイエス様の言葉や行いを一つひとつ取り入れていたことが分かるんだ。主イエス様の中に、ペテロは実に多くの神性を見た。例えば、主イエス様が語った言葉は真実で、力と権威に満ちていて、人々の霊的必要を与えて下さる。イエス様のなされた奇跡や驚くべきことは神様の権威と全能性を現わしていて、人間ができることではない。主イエス様は憐れみによって罪人を救われ、全ての罪を赦され、人類に豊かな恵みを下さった―人間に対する愛と憐れみに満ちておられたんだ。ペテロもまた、主イエス様が七つの災いをもってパリサイ人をとがめ、非難したことを通して主イエス様が聖く義であり、人間の背きを許されないことを知ったんだ。ご自身の働きの中で、どれほど肉的な苦難を伴い、努力が必要でも、そしてたとえ命を犠牲にしなければならないとしても、主イエス様は自らの任務を全うする決意だった。ペテロは、キリストの本質が父なる神様の御心に従うことであることを知った。ペテロはイエス様の中の大いなる神性を知り、純粋で実践的な神様に対する理解を得たんだ。それだけでなく、ペテロは主イエス様の言葉を心に刻み、繰り返し思い巡らし、そこから主の御心を理解して神様の人間に対する要求が何かを追い求めたんだ。イエス様はペテロに三度次のように聞いた。「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。(ヨハネによる福音書 21:16)ペテロはしばしばこのことを熟考し、内省することによって自分の愛が単に天におられる神様に対するものであり、実際のキリストに対するものでないことを理解したんだ。それは真に神様を愛することではなかった、そして地上におられるキリストを愛する事が純粋に神様を愛することだと気づいたんだ。それ以後、ペテロは頻繁に祈り、どのように主を愛するかを追い求めたんだ。最後に彼は、神様に対する究極の愛と死に至るまでの従順に到達し、真に神様を愛する者となったんだ。ペテロはまた、主イエス様からの批判を受け入れることもでき、そこから真実を求めようとしたんだ。イエス様がはりつけにされると知ったペテロはイエス様のすることを妨げようとし、そのような事などあり得ないと言ったが、イエス様はペテロを強く非難して言われた。「サタンよ、引きさがれ」。(マタイによる福音書 16:23)イエス様の強い非難から、ペテロは主が人の熱意や優しさを嫌い、神様の御心を妨げるものはいかなるものでもサタンの行為であり、神様に非難されることを知った。そのことからペテロにとって、主の業、行動、説教、そして非難の言葉から主を理解することが大切であったことが分かる。だからペテロは主を真に理解し、主に対する純粋な愛を自身の中に強くしていったんだ。」, 同僚の話を聞いて、私は、神様が本当に人の心と思いを探られるのだと感じました。主イエス様は無意味にペテロを称賛し、天国への鍵を渡されたのではないのです。イエス様はペテロの人間性と力量に自分との繋がりを感じ、ペテロの真理と主に対する愛に自分との繋がりを感じたのです。ペテロが誰よりもご自身の任務と信頼に相応しいとイエス様は知っておられ、だからご自身の羊を飼うという責務をペテロに任せられたのです。振り返ってみると、私は主を三度否定したペテロに対する主の承認を理解できていませんでした。けれども今は、主が見られるのは人の本質であることが分かります。一方私はと言えば、ペテロの振る舞いの一部だけを見ていました。しかもそれは、ペテロが主に従い始めてから僅か3年ほどの時のことで、彼の信仰はそれほど成長していませんでした。生死の境目では、肉の弱さが出ても当然です。誰かの小さな過ちに付け込んで私が非難することなどできないはずです。もしそれが私自身であったならば、イエス様が連れ去られた時に逃げていたでしょう。それでも私はペテロを裁いて過小評価していたのです。あまりに傲慢で、愚かで、無知でした。同僚からの話を聞いて、ペテロは神様に喜びをもたらしたこと、私たちもペテロに倣うべきであることを知りました。私は自分の人生において、主の御言葉を実践し、主への働きと奉仕に全力を尽くし、あらゆることにおいて主を知り、愛することを求め、主の御心を全うする者となりたいです。そうして初めて、私は神様に承認していただくことができ、天の御国へ入る機会が与えられるのです。, このようなことを理解した私は、同僚に言いました。「主の導きと、今日のこのような会話に感謝します。主イエス様がペテロに天国への鍵を与えられたことが、今理解できました。今日の話には真に神様の奥義があります。どう求めればよいか、私も分かりました。主の導きに感謝します!アーメン!」, ペテロが神により罰せられた時、ペテロは祈って言った。「神よ、私の肉は不従順で、あなたは私を罰し、裁かれます。私はあなたの刑罰と裁きの中で喜び、たとえあなたが私を求められなくとも、私はあなたの裁きの中に、あなたの聖なる義のご性質を目の当たりにします。あなたの裁きの中に他の人たちがあなたの義なるご性質を…, 神はどのような道をたどって人を完全にするのだろうか。どのような側面を含んでいるだろうか。あなたは神があなたを完全にするのを喜んで受け入れるだろうか。神の裁きや刑罰を喜んで受け入れるだろうか。このような問いについてあなたは何を知っているだろうか。もしあなたがこう言った知識について語ることができないなら…, 神を信じるとき、いったいどのようにして神に仕えるべきか。神に仕える人はどのような条件を満たし、どのような真理を理解しなければならないのか。また、あなたは奉仕をする中でどこへ逸脱するだろうか。これらすべてについて、あなたは答えを知らなければならない。これらの事柄は、あなたたちがどのように神を信じるか、…, イエス様が(マタイによる福音書20:1~16)で語られたたとえ話を読みました。その話では、天の御国が労働者を雇うぶどう園の主人にたとえられています。労働者たちがぶどう園に入るのが朝一番であれ、午後であれ、晩であれ、賃銀は同じであり、最初に来た労働者たちはこのことを知ると主人に不平を言いますが、主人はこう答えます。, このサイトでは、福音の書籍や映画などあらゆる種類の無料コンテンツをお楽しみいただけます。これらは主をお迎えし、天国への道を見つけるための手助けとなります。, 日々のディボーション

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